21番歌~30番歌

いまこむと
いひしばかりに
長月の

ありあけの月を
待ちいでつるかな

素性法師そせいほうし

「今すぐに行きましょう」とあなたがおっしゃったので、(その言葉を信じて) 九月の長い夜を待っていましたが、とうとう有明の月が出る頃を迎えてしまいました。

吹くからに
秋の草木の
しをるれば

むべ山風を
嵐といふらむ

文屋康秀ふんやのやすひで

山風が吹きおろしてくると、たちまち秋の草や木が萎れてしまうので、きっと山風のことを「嵐(荒らし)」いうのだろう。

月みれば
ちぢにものこそ
かなしけれ

わが身ひとつの
秋にはあらねど

大江千里おおえのちさと

秋の月を眺めてていると、様々と思い起こされ物悲しいことです。秋はわたしひとりだけにやって来たのではないのですが。

このたびは
ぬさもとりあへず
手向山たむけやま

もみぢのにしき
神のまにまに

菅家かんけ

今度の旅は急いで発ちましたので、捧げるぬさを用意することも出来ませんでした。しかし、この手向山の美しい紅葉をぬさとして捧げますので、どうかお心のままにお受け取りください。

名にしおはば
逢坂山おうさかやま
さねかづらみ

人に知られて
来るよしもがな

三条右大臣さんじょうのうだいじん

「逢う」という名の逢坂山、「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、あなたのもとにいく方法を知りたいものです。

小倉山おぐらやま
みねのもみぢば
心あらば

いまひとたびの
みゆきまたなむ

貞信公ていしんこう

小倉山の峰の美しい紅葉の葉よ、もしお前に哀れむ心があるならば、散るのを急がず、もう一度の行幸をお待ち申していてくれないか。

みかの原
わきて流るる
いづみ川

いつみきとてか
恋しかるらむつ

中納言兼輔ちゅうなごんかねすけう

みかの原を湧き出て流れる泉川よ、(その「いつ」という言葉ではないが) その人をいつ見たといっては、恋しく思ってしまう。本当は一度たりとも見たこともないのに。

山里は
冬ぞさびしさ
まさりける

人めも草も
かれぬと思へば

源宗于朝臣みなもとのむねゆきあそん

山里はいつの季節でも寂しいが、冬はとりわけ寂しく感じられる。尋ねてくれる人も途絶え、慰めの草も枯れてしまうのだと思うと

心あてに
折らばや折らむ
初霜はつしも

おきまどはせる
白菊しらぎくの花

凡河内躬恒おおしこうちのみつね

無造作に折ろうとすれば、果たして折れるだろうか。一面に降りた初霜の白さに、いずれが霜か白菊の花か見分けもつかないほどなのに。

ありあけの
つれなく見えし
別れより

あかつきばかり
きものはなし

壬生忠岑みぶのただみね

あなたと別れたあの時も、有明の月が残っていましたが、(別れの時のあなたはその有明の月のようにつれないものでしたが) あなたと別れてからというもの、今でも有明の月がかかる夜明けほどつらいものはありません。